2015年11月22日日曜日

健康(5)– 排尿痛

健康(5)– 排尿痛


 今後の健康の参考にと思って、過去の病気を振り返っている。20代はヘビースモーカー、生活は不規則、食事も外食、運動もしなかった。腎臓結石や虫垂炎を患った。

  30代に入ってから生活は少し規則正しくなった。それでもヘビースモーカーで、運動は全くしなかった。食事も外食で偏っていた。

  33才秋、何となくいままでにない体調の悪さを感じた。運動を少しはしなければと思い、少し走ってみた。さらに体調が悪くなる感じで、不気味な違和感があった。その後、小便をすると下腹部が痛くなり始めた。病院での体温測定で、確認もせずに体温計を看護婦さんに返すと「38度以上ありますよ」。えっ! 腎臓結石が疑われ、レントゲンを撮られた。腎臓結石は経験があるので、自分は腎臓結石とは思っていない。検査結果も腎臓結石ではない。

   次に疑われたのは前立腺肥大であった。先生が肛門に手を突っ込んで触診する。先生の先生もでてきて肛門に手をつっこむ。そして、前立腺肥大に間違いないという。しかし、前立腺肥大では熱はでないというのに、ずっと微熱が続いていた。前立腺肥大は通常は年寄りがなるものと聞いていたので、絶対違うと感じた。自分は原因不明の病気で苦しんでいる。不安は大きかった。

  小便をするときの痛みは日増しに強くなっていった。常時下腹部が痛くなってきて歩くのもおぼつかなくなった。一人ではとてもやっていけない。身の回りの世話をしてもらうために母にきてもらった。母にかかえられて病院巡りをした。ある病院にいったとき、自分では気がつかなかったが、盲腸の跡が膨れていた。先生が大きな注射器を持ってきて、針を差し込んだ。何もでなかった。

  数日後、救急車で病院に行った。救急車に乗る前は何も覚えていない。最初の病院はベットに空きがないとのことで断られた。救急車は次から次へ要請が入っているので私だけを相手にできない、次の病院へは乗せて行けないという。その後は記憶がとんでいる。たどりついた病院は、母子ともにどこのどんな病院かわからない。視覚的な記憶がない。覚えているのは、母経由で手術は二日後と告げられたこと。あまりに痛いので、なんでもいいから早く切って欲しいと思っていたので、かなりがっくりした。もう助からないと思った。その次の記憶は、母から先生が「切らないとわからないが、癌かも」と言っていると聞いたこと。もう駄目だと思っていたので、病名はほぼ無意味だった。手術前も手術後もほとんど覚えていない。盲腸の手術前後は覚えているのに、このときの記憶はない。

  このときの話は気が重くなる。痛さと朦朧とした意識なかで、もう駄目だと心底、観念した。

 

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